大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

函館地方裁判所 昭和61年(わ)251号 判決

主文

被告人を禁錮一年六月に処する。

この裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和五九年八月三日午前一〇時ころ、北海道山越郡長万部町字平里一二の二五番地所在の合田ドライブインを普通乗用自動車を運転して出発し、国道五号線を函館市方面に向け走行するに際し、同月一日夜からほとんど睡眠をとっていなかった上、同月三日午前二時ころ同道広尾郡広尾町を出発して以来、長距離を長時間にわたって運転し続けていて肉体的に疲労していたことに加え、右ドライブインで食事をとって満腹となり、しかも、同日午前一〇時ころの同町付近の気温が摂氏二九度に近く暑かったなど、運転中に眠気を催し安全な運転を期し難い状態に陥ることが充分予測されたのであるから、このような場合、自動車運転者としては、眠気を催したときには、直ちに運転を中止して事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、同日午前一〇時ころから同日午前一一時一六分ころまでの間、前記ドライブインから同道茅部郡森町字石倉町六二番地の一までの間を走行中に眠気を催したにもかかわらず漫然とそのまま運転を継続した過失により、同日午前一一時一六分ころ、同道茅部郡森町字石倉町六二番地の一付近の国道五号線を時速約六〇キロメートルの速度で差し掛かった際、仮眠状態に陥り、自車を対向車線上に逸走させて折から対面進行中のEが運転する大型貨物自動車の右前部に自車前部を衝突させ、その衝撃によって、自車同乗者A子(当時二六歳)を、同日午前一一時五〇分ころ、同町字上台町三二六番地所在の森町国民健康保険病院において、頭蓋底骨折による脳挫傷により死亡するに至らしめ、自車同乗者B(当時六八歳)を、同日午後五時六分ころ、同病院において、脳挫傷あるいは、頭蓋内出血による脳圧迫により死亡するに至らしめ、自車同乗者C(当時五二歳)に対し全治二二四日間を要する右大腿骨転子下及び右大腿骨顆上骨骨折、左橈骨及び左尺骨茎状突起骨折などの傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)《省略》

(証拠説明)

弁護人は、(一)本件事故について被告人には過失がない(二)本件事故とBの死亡との間には因果関係がない旨主張するので、以下に検討する。

一  過失の有無について

弁護人は、被告人は本件事故現場において突如として仮眠状態に陥ったものであって、その予徴となるものはなにもなく、もとより眠気を催したこともなかったのであるから、眠気を催したという運転中止義務の前提となる事実を欠き、被告人に運転中止義務を課すことはできないので、結局、被告人には過失がないことになる旨主張するところ、被告人は、捜査・公判を通じて、昭和五九年八月三日午前一〇時ころに長万部町の合田ドライブインを出発してから後のことは、本件事故のことも含めて全く記憶にない旨供述するので、検討する。

1  まず、本件事故の原因について考えるに、関係各証拠によれば、本件事故の客観的態様として、被告人の運転する普通乗用自動車(以下、「被告人車」という。)は、国道五号線を長万部町方面から函館市方面に向け進行し、約六〇キロメートル毎時の速度で本件事故現場付近に差し掛かった際、同所は片側一車線(幅員三・三メートル)の見通しの良い概ね直線の平たん乾燥したアスファルト舗装道路であり、進路前方には進路を変更して対向車線に進入しなければならないような駐停車車両その他の障害物は全く存在しなかったにもかかわらず、対向車線に進入したこと、その後、被告人車は、制動措置や進路変更などの衝突回避措置を講じた形跡の全くないまま約一六・二メートル進行して対向車線上を対面進行してきたDの運転する普通貨物自動車の右ドア及び右ボディー(荷台)に接触したこと、被告人車(車両重量一・二一トン)は、その後なおも、制動措置や進路変更などの衝突回避措置を講じた形跡の全くないまま約四四・五メートル進行し対向車線上を対面進行してきたEの運転する大型貨物自動車(車両重量約一二トン、以下「E車」という。)と正面衝突した事実が認められ、右のような本件事故の客観的態様及び後記判示にかかる本件事故前の被告人の心身状況に徴すると、本件事故は被告人が本件事故当時仮眠状態に陥って被告人車を対向車線に逸走させたことにより惹起されたと推認するに充分である。

2  そこで右の点を前提として、被告人の過失の有無につき検討する。

(一) 関係各証拠によれば、(1)被告人は、昭和五九年八月一日夜、漁船に乗船して出漁し、翌同月二日午前零時ころ、広尾港に帰港したが、その後、同日午後一〇時ころから二時間足らずの仮眠をとった外は、同月三日午前一一時一六分ころの本件事故に至るまでの間、全く睡眠をとっていないこと、(2)被告人は、母入院の報を受け家族らと共に急拠入院先の函館市内の病院に向うべく同月三日午前二時ころ、北海道広尾郡広尾町を出発してから本件事故現場に至るまでの間、同日午前六時過ぎころ立ち寄った同道三石郡三石町字港町《番地省略》所在のF方で一〇分間位休憩し、その後、同日午前九時三〇分ころから約三〇分間、同道山越郡長万部町字平里一二の二五番地所在の合田ドライブインで食事をしたほかは休憩をとることなく、長距離を長時間にわたって運転し続けていたこと、(3)被告人は、右合田ドライブインで食事をした際、カレーうどん一杯と妻の注文したラーメンの残り全部を食べ満腹感を感じていたこと、(4)本件事故当日の昭和五九年八月三日は気温が高く、午前一〇時には長万部町で摂氏二八・七度、同道茅部郡森町で摂氏三〇度を、午前一一時には長万部町で摂氏二八・七度、森町で摂氏二九・三度をそれぞれ記録し、被告人も、長万部町の合田ドライブインを出発する際暑さからトレーナーとその下の半袖下着シャツを脱ぎ上半身裸となったこと、の事実が認められる。

(二) 右の事実によれば、被告人は、本件事故の二日前である昭和五九年八月一日の夜の出漁から同月三日午前一一時過ぎまでの間、二時間足らずの仮眠をとった外は睡眠らしい睡眠をとっていなかった上、充分な休憩をとることなく長距離を長時間にわたって運転し続けていたことが認められ、更にG子の検察官に対する供述調書によれば、被告人は前記F方に立ち寄った際既に右G子に対し「ああ疲れた」と言って疲労感を訴えていたと認められる(なお、被告人は、公判廷において、これと異なる趣旨の供述をするが、右証拠によれば、G子は被告人の家族と家族ぐるみの付き合いをしていたもので被告人にことさら不利な供述をするとは考えられず、またその供述内容自体と対比してもにわかに措信しがたい。)ことをも併せ勘案すると、長万部町の合田ドライブインを出発するころの被告人は睡眠不足に加えて肉体的に相当疲労した状態にあったと認められる。しかも被告人は、このような睡眠不足と肉体的に相当疲労した状態にあったばかりか、食事をして満腹となり、加えて気温が高く被告人自身暑くて上半身裸になる程であったというのであるから、長万部町の合田ドライブインを出発してからの被告人は極めて眠気を催し易い状態にあったというべきである。そして、被告人は現に仮眠状態に陥って本件事故を惹起したもので、被告人は右のように極めて眠気を催し易い状態にあったことに加え、経験則上、本件当時の被告人のように睡眠不足と肉体的に相当疲労した状態にあるものが仮眠状態に陥る際にはそれに先立ち眠気を催すのが通常であると認められるところ、Cの検察官に対する昭和六一年一二月一〇日付け供述調書及び被告人の当公判廷における供述によれば、被告人は、睡眠不足や疲労の状態から全く眠気を感じることなく突然に仮眠状態に陥ったというような経験はなく、また何の前兆もなく突然に睡眠状態を招来するような病気に罹患したこともなかったというのであるから、結局、被告人は、長万部町の合田ドライブインを出発してから本件事故現場に至るまでのいずれかの時点において眠気を催したと推認するに充分である。なお、弁護人は、被告人の本件事故に至るまでの長距離運転中及び長万部町の合田ドライブインから本件事故現場までは曲線道路が多くかつ交通量も多い国道であるところ、その間被告人になんら運転継続を危ぶむような異常な運転のみられなかったことからすると、被告人が仮眠状態に陥って本件事故を起こした事実及び被告人が当時甚しい睡眠不足状態にあった事実とから当然に当時被告人が眠気を自覚し、或いはこれを体感したはずであるとの推論は成り立たない旨主張するので付言すると、車の運転は高度の熟練技術を要する精神的肉体的作業であるが、一方、人は睡眠不足等により眠気を覚えながらも、先を急ぐなどの理由から適宜精神を緊張させて運転を継続し、その間事故に至らず一応正常に運転しながら、遂に仮眠状態に陥って事故に至ることがあり、それが居眠り運転の通常の型態と考えられるのであるから、弁護人がその主張の前提とするように、本件事故に至るまでの被告人の運転に異常がなかったとしても、その点は通常の居眠り運転も同様であって、そのことが被告人に眠気を催したとの事実を認定する妨げとなるものではない。また、被告人の供述するところは、長万部町の合田ドライブインを出発して以降のことは事故を含め記憶がないというにすぎないのであるから、結局のところ弁護人の主張を裏付けるものとはいえず、その他本件証拠上、被告人がなんらの前兆もなく突如仮眠状態に陥って本件事故に至ったことを疑わせる事情はなく、弁護人の主張する点を考慮検討しても、前記認定を左右しない。以上の検討によれば、判示運転中止義務の前提となる、被告人は長万部町の合田ドライブインを出発してから本件事故現場に至るまでのいずれかの時点において眠気を催したという事実を認めることができるので予見可能性があり、したがって、被告人には本件事故の発生につき過失があるというべきである。

二  Bの死亡との因果関係について

弁護人は、Bの死因たる傷害は本件事故後に発生した被告人とはなんらの関係もないE車の自走事故(以下、「第二次事故」という。)の際生じたものであるから、本件事故とBの死亡との間には因果関係は存在しない旨主張するので、検討する。

1  まず、Bの直接の死因及び死体の状況などについて検討するに、関係各証拠によれば、Bの死因は脳挫傷あるいは頭蓋内出血による脳圧迫であること、Bは第二次事故に遭遇した後森町国民健康保険病院に搬入されたが、その際のBの頭部及び顔面の受傷状況は、右顔面の腫脹が著しく強度の皮下出血が認められ、また、右顔面骨骨折及び頭蓋底骨折が認められたが、後頭部には開放創や頭蓋骨骨折などの損傷は認められなかったこと、Bが死亡した直後に司法警察員が死体の見分をしたが、その際のBの頭部及び顔面の状況も、右顔面部は左顔面部に比較して異常に浮腫し右眼が陥没しているのが認められ、また右顔面骨骨折が認められたが、頭部には外傷は認められず頭蓋骨骨折などの損傷も認められなかったことなどの事実が認められる(なお第三回公判調書中の証人Hの供述中には、Bが死亡した翌日同人方で同人の遺体の側頭部ないし後頭部を持って持ち上げたところ、柔らかい感じがし陥没しているような感触であったとの部分があり、また右Hの司法警察員に対する供述調書にも同趣旨の記載があるけれども、証人兼鑑定人Iに対する当裁判所の尋問調書及びJの検察官に対する供述調書によれば、Bのような傷害を負った場合頭皮と頭蓋骨との間に生じた皮下出血が下の方に就下し溜まった部分がスポンジ状に柔らかくなることがあると認められ、この事実に徴すると、右Hはこのような柔らかくなったBの頭部に触れて陥没しているような感触を得たものと推認されるから、右Hの前記供述により右の認定が左右されることはない。)。右の事実に証人兼鑑定人Iに対する当裁判所の尋問調書を併せ検討すると、Bは、その右顔面に強い外力を受け右顔面の著しい腫脹や右顔面骨骨折という損傷を負ったが、そのような損傷を招来した外力の衝撃により脳挫傷あるいは頭蓋内出血が生じ、その結果、死亡するに至ったものと認められる。

しかして、本件事故及び第二次事故を除いては右のような外力がBに加えられたものとは認められない本件においては、右顔面の著しい腫脹や右顔面骨骨折を招来した強い外力がBの右顔面に加わったのは、本件事故の際か、あるいは第二次事故の際かが問題の要点になるというべきである。

2  そこで、最初に、本件事故の際に右のような強い外力が加わった可能性について検討する。

(一) まず、関係各証拠のうち本件事故後のBの受傷状況についての目撃供述を除くその余の関係証拠により本件事故の客観的態様などについて検討する。

(1) 本件事故の客観的態様の概略は、前記のとおり、車両重量一・二一トンの被告人車は約六〇キロメートル毎時の速度のままなんら制動措置や進路変更などの衝突回避措置を講ずることなく車両重量約一二トンのE車と正面衝突したというものであるが、加えて司法警察員作成の昭和五九年八月五日付け捜査報告書及び同月四日付け実況見聞調書によれば、約六〇キロメートル毎時の速度のままなんら急制動の措置を講ずることなく進行した被告人車は、ほぼ同速度で進行中に急制動の措置を講じたまま約三一メートル走行したE車と正面衝突したにもかかわらず、E車と衝突したまま逆に約二・五メートル後方に押し戻されたこと、また被告人車の前部は衝突の衝撃により完全に大破したことが認められ、これらの事実をも併せ勘案すると、被告人車は本件事故による衝突で激甚な衝撃を受けたと認められる。

(2) Cの検察官に対する各供述調書(三通)及びKの司法警察員に対する供述調書によれば、Bは、本件事故当時助手席側後部座席のシート上にあぐらをかいて座り腕を組んで助手席側後部ドアに寄り掛かるという極めて不安定な体勢であった上、シートベルトも締めていなかったことが認められ、また本件事故に遭遇した際これを予期して身構えるなどの対応をした様子は窺えない。

(3) 証拠上、本件事故だけで受傷したものと認められる右Bを除く被告人車の同乗者三名の受傷の状況をみると、検察事務官作成の昭和六一年三月二七日付け電話聴取書、司法警察員作成の「診断書の受領について」と題する書面(二通)、医師L作成の捜査関係事項照会回答書(二通)、医師J作成の死体検案書(A子に係るもの)及び検察官作成の電話聴取書によれば、(ア)運転席に乗車していた被告人は約六か月間の入院加療を要する脳挫傷、右尺骨、左橈骨、右膝蓋骨及び右頸骨骨折並びに右距骨脱臼骨折などの傷害を負い、(イ)助手席に乗車していたA子は頭蓋底骨折による脳挫傷により死亡し、(ウ)更に運転席側後部座席に乗車していたC(同人については本件事故後第二次事故によりその左足を轢過されたことを疑わせる証拠(司法警察員作成の昭和五九年八月四日付け及び同年一一月一六日付け各実況見分調書並びに同年一〇月七日付け捜査報告書等参照)があるけれども、後記左橈骨及び左尺骨はいずれも医師Lの昭和五九年一二月二八日付け捜査関係事項照会回答書によれば、左手の骨折と認められる。)は全治二二四日間を要する右大腿骨転子下骨折、右大腿骨顆上骨骨折、左橈骨骨折、左尺骨茎状突起骨折及び右前額部挫傷などの傷害を負ったことが認められる。

(4) M及びEの検察官に対する各供述調書、Kの司法警察員に対する供述調書並びに司法警察員作成の昭和五九年九月二〇日付け及び同年一〇月三日付け各実況見分調書によれば、右Mらにより目撃された被告人車内におけるBの位置体勢は、上半身を屈曲させて助手席後部座席シートと助手席シートとの間にその頭部を突っ込み、頭部・顔面を助手席後部ドア方向に向け頭部を右ドアの下部あたりに押し付けた体勢であったこと、右体勢のもとでBの頭部及び顔面が接したと認められる助手席後部ドア内側の下部(車体部分)及び助手席シート背部の下部(車体部分)にかなり多量の血痕が付着し、また、助手席後部座席シート左端の下部には血液の飛沫痕が付着していて、しかも関係証拠により認められる他の同乗者の本件事故後の被告人車内における体勢とを彼此勘案すると、右血痕はBの受傷により流出ないし飛散したものと推認される。なお、関係証拠上、Bの被告人車内における体勢については右の認定と符合しない証拠もあるが(特にNの司法警察員に対する供述調書及び司法警察員作成の昭和五九年八月一〇日付け実況見分調書の立会人Eの指示説明)、実際に被告人車内からBの体を動かして同人を車外に搬出したMが一貫して右認定のように指示説明しまた供述しており、その指示説明及び供述は詳細かつ自然であって、他方Nも、司法警察員から取調べを受けた際、Bは運転席と助手席の間に挟まれていたという人もいるがとの問いに対し、助けだす前に車を動かしたりバリでドアをこじ開けたりしているので、車体も動き体がずれたかもしれない旨供述し、搬出時のBの体勢が右認定のようになったかもしれないことを必ずしも否定していないことなどに徴すると、少なくとも被告人車から搬出される直前のBの体勢、特にその頭部及び顔面の位置は右認定のようであったと認めるに充分である。

以上の事実によれば、被告人車は本件事故による衝突のため激甚な衝撃を受けつつ押し戻された状況にあり、一方車内にいたBは本件事故当時不安定な体勢であった上シートベルトも締めておらず、また本件事故に遭遇した際これを予期して予め身構えるなどの様子も窺われないのであるから、Bは本件事故による衝突の衝撃によりその身体を車内のいずれかの部分に強打したと認められるところ、Bが車外に搬出される直前その頭部及び顔面が接していたと認められるあたりにかなり多量の血痕が付着していること及び他の同乗者はいずれも本件事故により極めて重度の傷害を負っていることを併せ勘案すると、Bは本件事故により頭部あるいは顔面から相当の出血を伴う極めて重度の傷害を負ったものと推認される。

(二) そこで、進んでBの負傷状況についての目撃供述に基づき本件事故後第二次事故前のBの負傷状況について検討するに、M、U、P(二通)、E及びQの検察官に対する各供述調書、D、K、Q(二通)、R(昭和五九年八月二四日付け)、N及びSの司法警察員に対する各供述調書によれば、Bは、右顔面あたりから相当の出血があったほか、顔面右側の腫脹が著しく顔面右半分が変形して右眼はつぶれたような状態となり、また体はぐったりして力なく話し掛けても僅かにうなずく程度のもうろうとした意識状態であったことが認められ、またM及びP(昭和六一年一〇月七日付け)の検察官に対する各供述調書によれば、本件事故後第二次事故前のBの顔面の状況は、死亡した直後のBの顔面を撮影したものである司法警察員作成の昭和五九年八月一〇日付け写真撮影報告書添付ナンバー九の写真と比べ、写真の方が腫れの程度が少しひどい点を除きその負傷状況はほとんど同じであることが認められる(なお、経験則上、内出血を伴う傷害を受けた場合、時間的経過とともに腫れの程度がひどくなるのは自然なことと認められる。)。以上の事実によれば、本件事故後第二次事故前のBは、その顔面の負傷状況が死亡直後の顔面の状況とほぼ同一であり、またほとんど意識のない重篤な状態にあったと認められる。

(三) 以上検討したところによれば、Bに死因たる傷害をもたらした同人の右顔面に対する強い外力は、本件事故による衝突の際、Bの右顔面が被告人車のいずれかの部分に激突し、その衝撃により加えられた可能性が極めて高いというべきである。

3  次に、第二次事故の際、死因たる傷害をもたらした強い外力がBの右顔面に加わった可能性について検討する。

(一) まず、第二次事故の態様についてみるに、関係各証拠によると、その概略は、Bは、本件事故後、被告人車から搬出されE車の前部左端から北西方向に約七・八メートルないし九・二五メートル離れた国道五号線の丘陵側にも設られた歩道の脇の草地に、頭部を函館市方面に向け両足を八雲町方面に向けて仰向けに寝かされていたところ、E車の原動機が突然始動しBの寝かされている方向に向けて約一三・五メートルにわたって自走し停止したが、その直後、E車の車体下の助手席側前輪と後輪との間からBが救出されたというものであることが認められる。

(二) そこで、第二次事故の際、Bの頭部あるいは顔面がE車の車輪によって轢過された可能性について検討するに、本件全証拠によってもBの頭部・顔面が右車輪により轢過されたことを窺わせる事情が認められないばかりか、証人兼鑑定人Iに対する当裁判所の尋問調書並びに医師I作成の前掲鑑定書及び同抄本(以下、一括して「I鑑定」という。)によれば、右Iは当裁判所で調べた証拠書類の相当部分、特にBの受傷状況を撮影した写真などにより法医学を専攻する立場から鑑定をしたものであるが、同人は、Bの頭部あるいは顔面がE車の車輪によって轢過された可能性を明確に否定しており、結局その可能性はないと認められる。

(三) 次に、第二次事故の際、E車の車体下部あるいは車輪の金属部分などがBの右顔面に衝突した可能性について検討するに、司法警察員作成の昭和五九年一〇月一五日付け実況見分調書によれば、E車は直径九九センチメートルの車輪部分を除くと最も路面に接近した後輪デフレンシャル部分でも路面から約二四センチメートルの高さにあり、その余の部分はいずれもそれ以上の高さにあることが認められ、この事実に照らすと、E車の車体下部が草地の上に仰向けに寝かされた状態のBの右顔面に衝突することは物理的に不可能と認められる上、前記のとおり、Bは本件事故により右顔面に相当の衝撃を受け出血していたものと認められるところ、司法警察員作成の昭和五九年一〇月一三日付け捜査報告書Cによれば、本件事故後E車を修理した自動車修理業者が故障箇所の調査のためE車の下回りを調べたところ、血痕の付着などの事故の痕跡は発見されなかったことが認められ、以上の事実に照らすと、第二次事故の際、E車の車体下部などがBの右顔面に衝突した可能性は極めて低いと考えられる。もっとも、第二次事故の態様によっては、なんらかの拍子にBの身体が跳ね上がりその右顔面がE車の車体下部などに衝突した可能性が絶無とまでは断定できず、また自動車修理業者の観察したところにしても、それは捜査の専門家でないものが専ら故障箇所を調査するという観点からなしたもので、あるいは血痕の付着などを見逃したのではないかとの疑問がないとはいえず、そこで更に検討すると、I鑑定、Jの検察官に対する供述調書及び医師J作成の昭和六〇年一一月三〇日付け捜査関係事項照会回答書によれば、Bは、第二次事故の際、E車の車輪によって前胸部右側上部、右肩部及び右上肢を轢過されていることが認められ、この事実に加え、関係証拠、特に司法警察員作成の昭和五九年八月四日付け及び同年一一月一六日付け各実況見分調書により認められるBが寝かされていた位置、E車が自走した際の同車の車輪の軌跡、左前後輪を歩道に乗り上げながら右前後輪を歩道の縁石にこすって停止している状況、Bが第二次事故の直後救出された位置、その際のBの身体の向き、更にはE車が平たんな舗装道路上で自走を開始した後助手席側の前輪を高さ約一六センチメートルの段差のある歩道上に乗り上げた上運転席側の前輪を右段差に引っ掛けた状態で約一三・五メートル自走したところでエンストを起こして停止したことから推測される同車の速度などを併せ勘案すると、Bは、第二次事故の際、その前胸部右側上部、右肩部及び右上肢をE車の助手席側の前輪に轢過されながらゆっくりと回転しつつ約三メートル引きずられたものと推認される。このような事実に徴すると、第二次事故の際Bの身体がE車の車体下部などのどこかと接触したことがあったとしても、同人の身体(本件ではその右顔面ないし頭部が重要である)が跳ね上がるなどしてE車の車体下部などのどこかと前記のような致命傷となり得る傷害を被るほどに激しく衝突するというようなことは想定し難く、前記のとおり、E車の下回りから血痕の付着などの事故の痕跡が発見されなかったことをも併せ勘案すると、結局第二次事故の際、E車の車体下部あるいは車輪の金属部分などがBの右顔面に激しく衝突した可能性はないと認めるのが相当である。

(四) 更に第二次事故の際、Bがその右顔面を路上に強打した可能性について検討するに、前記(三)のとおり、Bは、第二次事故の際、その前胸部右側上部、右肩部及び右上肢をE車の助手席側の前輪に轢過されながらゆっくりと回転しつつ約三メートル引きずられたと推認されることに徴すると、たとえBがE車の車輪により引きずられた際路面に右顔面を打ったことがあったとしても、その衝撃力はそれほど強いものとは考えにくく、結局、第二次事故の際、Bが致命傷となる傷害を被るほどにその右顔面を路上に強打した可能性はないというべきである。

(五) 前記のとおり、本件事故後第二次事故前のBは、その顔面の負傷状況が死亡直後の顔面の状況とほぼ同一であり、また意識もうろうとした重篤な状態に状態にあったと認められ、またP(二通)及びQの検察官に対する各供述調書によれば、Bの右顔面の負傷状況は腫れが時間の経過とともにひどくなっている点を除き第二次事故の前後を通じてほぼ同一と認められるのであって、これらの事実によっても、第二次事故の際、Bの右顔面に強い外力が加わった可能性のないことが裏付けられるというべきである。

以上の検討によれば、第二次事故の際、死因たる傷害をもたらした強い外力がBの右顔面に加わった可能性はないと認められる。

4  次に、弁護人の指摘するその他の問題点について検討する。

(一) Cの検察官に対する昭和六一年六月二七日付け供述調書中には、同人は、本件事故後第二次事故発生までの間Bとともに歩道脇の草地に寝かされていたが、その際、Bの頭や顔は全く無傷で出血もなく、また意識も明瞭で肘をついて顔を上げ同人と明確な言葉のやりとりをしたとの部分があるところ、弁護人は、このCの供述の信用性は高く、これに対し、前掲本件事故後のBの負傷状況についての目撃供述はいずれも信用性に乏しい旨主張する。そこで、検討するに、(1)前記2(一)で詳しく検討したように前掲各証拠のうち本件事故後のBの受傷状況についての目撃供述を除くその余の関係証拠に基づく検討によっても、Bは本件事故により頭部あるいは顔面から相当の出血を伴う極めて重度の傷害を負ったと推認されるのであって、そもそも本件事故の客観的態様などからして本件事故後のBの頭や顔が全く無傷で出血もないとはおよそ考え難い、(2)前記Cの供述には、BやCの草地への寝かされ方や寝かされた向き、あるいはE車と被告人車とが分離されていたかなどの他の証拠により認められる客観的事実と矛盾する点が多い上、草地上でC自身が救急隊員から足の手当てを受けたというCにとって極めて印象が強いと思われる事実について記憶が全く欠落している一方で、そのころのBに関する事柄については明確に記憶しているなどCの供述には不自然な点が多く認められるが、これに対して、前掲本件事故後のBの負傷状況についての目撃供述は、その余の客観的証拠ともよく符合するばかりか、これらの目撃供述はその内容が具体的かつ詳細であり、またBを被告人車から直接搬出した者やBの手当てをした救急隊員を含め相互によく符合しているのであって、それ自体信用性に富んでいると認められ、以上によれば、前掲Cの供述は措信し難いものというべきである。

(二) 弁護人は、Bは本件事故の際被告人車内のコンソールボックスに顔面を衝突させたものと認められるところ、コンソールボックスに顔面を衝突させたのであるならば、証人兼鑑定人Iに対する当裁判所の尋問調書に照らし、この衝突によってはBの死因となったような致命傷は生じ得ないはずであり、Bは本件事故の際被告人車内において致命傷を負ったとするのは不合理である旨主張するが、関係証拠上、Bが本件事故の際被告人車内のいずれの箇所にその右顔面を衝突させたかは確定できないものの、前記2(一)で詳しく検討したように、本件事故の客観的態様などの面からみてBは本件事故の際被告人車内において頭部あるいは顔面から相当の出血を伴う極めて重度の傷害を負ったと認められるのであるから、弁護人の主張は当を得ない。

(三) 弁護人は、司法警察員作成の昭和五九年一〇月七日付け捜査報告書によれば、救急隊員が、本件事故後第二次事故前のBに対し、大丈夫かと問い掛けたところ痛いと答え、またガーゼを渡したところこれを受け取って口の上に持っていったことが認められ、このような事実に照らすと、本件事故後第二次事故前のBは意識があったというべく、したがって、本件事故の際Bが致命傷を負ったとするのは不自然で疑問がある旨主張するが、証人兼鑑定人Iに対する当裁判所の尋問調書及びJの検察官に対する供述調書によれば、脳挫傷などにより致命傷を負った直後でも問い掛けに痛いと答えるというようなこともないではないと認められることに徴すると、たとえ右のBが救急隊員の問い掛けに答えたなどの事実があったとしても、それだけでは、直ちに、Bが本件事故の際致命傷を負ったと認めることの妨げとはならないというべく、弁護人の主張は失当である。

(四) 弁護人は、Bが、本件事故の際死因となる脳挫傷を負ったとすると、医師J作成の「回答書」と題する書面に照らして、救急隊員がBの負傷状況を調べた際に当然口腔及び右外耳道から髄液の流失を確認したはずであるのに、関係証拠上、救急隊員が髄液の流失を確認した形跡が窺われないのは不自然である旨主張するが、検察事務官作成の「報告書」と題する書面によれば、髄液とは脳脊髄液のことであり、無色、無臭及び透明な液体であること、髄液は硬膜の損傷があると血液とともに流失することが認められ、右の事実によれば、無色、無臭及び透明な液体である髄液は硬膜の損傷により血液と混ざり合って流失するため、通常は負傷者の身体から血液のほか髄液が流失していると認識するのは困難であると認められるところ、現に、検察官作成の電話聴取書抄本によれば、専門家であるJ医師でさえ、森町国民健康保険病院に搬入されたBを初めて診察した際、右耳及び口腔から血液とともに髄液が流失しているものか判断に迷ったことが認められ、これらの事実に徴すると、本件事故後Bの手当てにあたった救急隊員が髄液の流失を確認できなかったとしてもなんら不自然ではないというべく、弁護人の主張は失当である。

5  最後に、Bは、第二次事故の際、その前胸部右側上部、右肩部及び右上肢をE車の左前輪に轢過されながら約三メートル引きずられたと認められることについて付言するに、I鑑定、Jの検察官に対する供述調書及び医師J作成の昭和六〇年一一月三〇日付け捜査関係事項照会回答書によれば、Bが第二次事故の際E車の左前輪に轢過されながら約三メートル引きずられたことにより負った傷害はそれ自体として直接死因になり得るものではないと認められ、したがって、Bの死因たる傷害の発生原因を検討するにあたって、Bが第二次事故の際E車の助手席側の前輪に轢過されながら約三メートル引きずられたという点を特に考慮する必要はないというべきである。

6  以上、詳細に検討したところによれば、死因たる傷害をもたらしたBの右顔面に対する強い外力は、第二次事故によって加えられたものではないと認められるのであるから、本件事故による衝突の際の衝撃により加えられたものと認められ、結局、Bは本件事故の際被告人車内において致命傷を負ったものというべきであって、本件事故とBの死亡との間には因果関係が存在することは明らかといわなければならない。

よって、弁護人の主張はいずれも採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、各被害者ごとに刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、右は一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の最も重いBに対する業務上過失致死罪の刑で処断することとし、所定刑中禁錮刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を禁錮一年六月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、判示のとおり、被告人が、妻ら三人を同乗させて普通乗用自動車を運転中、仮眠状態に陥り、自車を対向車線に逸走させて対面進行中の大型貨物自動車と正面衝突させ、その結果、同乗者中二人を死亡させ、一人に重傷を負わせたという事案であるが、被告人は、重大事故に至る危険性の高いいわゆる居眠り運転に陥って自車を対向車線に逸走させ、なんの落度もない対向車との正面衝突を惹起したものであって、事故の態様は極めて悪質というほかはなく、しかも、その結果は、二人の貴重な生命を失わしめたほか、一人に全治二〇〇日余を要する重傷を負わせており、甚だ重大である。また、被告人は、本件の前々日の夜からほとんど睡眠らいし睡眠をとっておらず、しかも、長距離を長時間にわたって運転し続けていて肉体的に相当疲労していたと認められるなど居眠り運転に陥ることが不可避とさえ思われる状態にあったのであるから、自動車運転者としては居眠り運転に陥らないよう適宜休息をとるなどして運転すべきであったのに、被告人は、このような当然かつ容易に尽すことのできる注意を怠り、漫然と運転を継続して本件事故を惹起しているのであって、本件事故は被告人の右のような安易で軽率な運転態度に起因するものというべきである。以上の諸点に徴すると、被告人の刑責は重いといわざるをえない。

しかしながら、他方、被告人は、父親、妻とともに漁に出ていた先で母親が高血圧で倒れ入院したとの知らせを受けたため、父親、妻とともに急いで帰宅する必要があったところ、自動車が一番便利な交通手段であった上、他の同乗者は誰も運転免許を有しておらず運転を替われる者がいなかったなど、被告人が本件当時、長距離を長時間にわたって運転し続けたことには、それなりに酌むべき事情もないではないこと、確かに、前記のとおり、本件事故の結果は極めて重大であるが、被害者らも被告人の前記のような身体的状況を概ね承知して同乗した者である上、死亡した二人のうち一人は被告人の妻であるほか、重傷者も被告人の父親であって、幸いにして無関係の第三者には身体的被害が及んでいないこと、死亡したBの遺族に対しては損害賠償金として既に金一八〇〇万円が支払われているほか相応の慰藉の措置が講じられ、Bの遺族は、被告人の処罰を特に望んではいないこと、被告人自身、本件事故により最愛の妻を失い、また、入院加療約六か月間を要する重傷を負うなど、本件事故によって大きな精神的・肉体的打撃を被ったと認められること、被告人は、これまで父親とともに漁業に従事し、真面目な社会人として生活してきており、前科・前歴もないこと、被告人は、今後、一家の柱として稼働し、家族を扶養していく必要があり、また、公判廷において一応の反省の態度を示していること、事故から既に三年以上の年月が経過していることなどの被告人に有利な情状も認められる。

そこで、以上の被告人に有利・不利一切の諸情状を総合考慮し、主文のとおり量刑するのが相当と思料した。

よって、主文のとおり判決する(求刑禁錮一年六月)。

(裁判長裁判官 長島孝太郎 裁判官 佐藤陽一 田村眞)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例